
天使を名乗る
真昼間に得体も知れないトリプタミンのカプセルを1錠飲み込んで、家を出た。外は、ちゃんと昼をやっていて心底安心する。冬の乾いた光、道路の白線、誰かの洗濯物、コンビニの前で立ち話してる人。誰かの生活が、僕と関係ないところでちゃんと続いている。それが救いだった。世界はまだ、普通の顔をしている。
それなのに、角を曲がったところで交通事故が起きている。数人の警察官が、誰かの言葉を拾って、並べて、形にしようとしていた。世界はいつだって「原因」と「結果」に分けたがる。何が起きて、誰が居て、何が悪かったのか。順番に並べて、納得する。それを僕は視界の端っこで捉えるだけ。端っこって、安心だ。正面から見たら、たぶん崩れる。ホントに勘弁してよ、今日は楽しい1日にしたいのにさ。
まだ大丈夫。
……って思うときは大体ダメ。もう遅いんだよね。効き始めてる“何か”が、頭の中で沸騰し始めてる。静かにやって来るから、気づいたときにはもう手遅れ。何度も失敗して、何度も懲りたはずなのに、何度もソレが知りたい。どこまで壊れるのか、どこまでなら戻ってこられるのか、その境目をまた見たくなる。
折り返して家に戻る。ドアを閉める。少し安心する。鍵をかける。いつもの部屋、いつもの床、いつものベッド。見慣れたものに囲まれていれば、まだ大丈夫な気がする。
怖い怖い怖い怖いこわい。Xで検索した近所のこと。家の近くで誰かが火をつけたポストが駆け回っている! 不審火! アパートは夜に輝いて燃えたという。もしかすると、記憶にないだけで、頭の狂ったいつかの僕が火をつけた? 検索しても検索しても確信に迫れない! 犯人は誰だ。僕がやったのか!
なんだか焦げ臭い気がする。このマンションは火に包まれている! 煙の匂いが部屋に充満して、僕は外へ逃げなければならない! ベランダから飛び降りる? 助からないなあ。ドアを開ける? 彼らをやすやすと部屋に招きいれるのか?
インターネットを駆け巡る。ダメだ、僕以外が原因である証拠がどこにもない。待てよ。こういうときは大体思い込みだ。ちょっと落ち着いて冷静になろう。
ベッドの上でジッとしよう。
無理。絶対に無理。僕以外がやった確証が欲しい。コレで救われたい! でも、どこにもない! 焦げ臭い。これを簡単に否定していいのか? ただの思い込みで片づけて、本当に燃えてたらどうするんだ。
ニュースサイトに書かれた事件の時間を確認する。昨日の朝だ。なら、僕が原因じゃない。今日の昼に摂った。こればかりは確証がある。そこだけは時間が切れている。安心する。ということはピークは終わったということだね。落ち着いて。
抜けた。
終わった、と思った途端、どっと疲れた。さっきまで本気で世界の全部が自分につながっている気がしていたのに、急にそれがほどける。恐怖だけが跡に残って、でも理由はうまく掴めない。今まで考えていたことは何だったんだろう。何も起きてないのに、全部起きていたみたいな顔をしてる頭だけが残る。
ちょっと話したい、とお母さんにLINEをした。電話口に出ると、すぐに懺悔した。摂ったこと、勘違いしたこと、幸せが苦しいこと。
不幸になりたくてやったことが、なんでこんなにしんどいのか。何も変わらなくてバカみたい。むしろ、同じところを何度もぐるぐる回ってるだけで、進んでもいない。全部話して、気づいたら泣いていた。最後まで優しく僕の話を聞いてくれた。
「そればかり考えてるとよくないからなんか美味しいものでも食べてきなよ。」
それだけだった。説教でもなく、救済でもなく、正論でもなく。ただ、美味しいものでも食べてきなよ、だった。たぶんそういうことなんだと思う。白黒つけずに、意味も与えずに、ただ好きなものを食べて終わるしかない日がある。
救われないものを、救われないまま見届ける。僕は天使なんだから、きっとそうでしょ。